カルロス・ゴーン経営を語る――C・ゴーン、P・リエス著

日本経済新聞 朝刊(2003年9月21日掲載)

進化続ける「経営する意志」

 練達のジャーナリストによる「ゴーン本」である。スピード感のある小気味良い文章で、そこは訳者の貢献も大きい。過去の日産や日本経済に関する分析はちょっと浅いが、そこはスピードオーバーの御愛嬌。何より、ゴーン氏自身の生の声をここまで聞きだせている点で出色の出来といえる。

 特に私には前半が面白い。カルロス・ゴーンという強靱な「経営する意志」が、あらゆる運や縁や試練を取り込みながら進化し続ける様が、ゴーン氏の語りを通じて立体的に描かれる。生い立ち、ブラジル、レバノン、フランス、ミシュラン、ルノーと重層的に展開する話はスリリングだ。前半を精読すれば、ゴーン経営の本質的な部分はかなり理解できる。後半の日産の話は、ある意味ではその検証に過ぎず、前半を理解していれば、実は驚きは少ない。言動が一貫しているからである。しかしその一方で、日本に来てからもゴーン氏の進化は続いている。

 特に仏ミシュラン時代の経験が氏にとって決定的だったことがよく分かる。ミシュランで鍛えたものがルノーと日産で役立った、という構図だ。ミシュランが急速に多国籍化する時代に若くして遭遇したのは彼の「縁」であるが、その縁をすべて自らの能力・信条に昇華させるところが、氏の「進化する経営意志」たる所以である。

 本全体が与えるゴーン像はダイナミックで、定期的に氏に接する私のそれと比べても違和感がない。私の見る氏は、中心線をはずさない、平常心の経営者である。「型」はあるが型に執着しない。一流の剣豪を想起させるものがある。経営学の流行り言葉はほとんど使わず、ごく普通の言葉で喋るが、その言葉は「自分が言ったことは将来起こる」という基準で慎重に選ぶようだ。氏の経営理念は、常識的な目標重視・達成重視・人間重視・現場重視を高度に統一したもので、経営学的に新奇ではなく、むしろ古典的でさえある。

 要するにカルロス・ゴーンという「経営する意志」は、フランスだ日本だという次元を超えている。もっと普遍的・世界的な意味で卓越していることがこの本で分かる。ゆえに良い本である。
(高野優訳、日本経済新聞社・一、六〇〇円)

▼ゴーン氏は日産自動車社長兼CEO。リエス氏はAFP通信社ブリュッセル支局長。

 

プロローグ

 

第1章

旅立ち

第2章

パリ

第3章

ミシュラン

第4章

リオデジャネイロ

第5章

北米での挑戦

第6章

さらばミシュラン

第7章

ルノー

第8章

アジアへ

第9章

日本で

10章

ルノーの人々

11章

聴診、そして診断へ

12章

仕事について

13章

ショック療法

14章

コミュニケーションの必要性

15章

弱点の強化――デザイン・財務・販売

16章

新しい企業文化

17章

提携を活力あるものにするために

18章

経営者とは

19章

明日の自動車産業

20章

中国市場

21章

希望のメッセージ

 

状況を把握する

 「経営には絶対的なモデルなどありません。経営というのは、実際に仕事に取り組みながら、その場、その場でいちばんいい方法を見つけていくものだからです。その意味で言うと、困難な状況に置かれた時こそ、経営者は鍛えられます。順調な時には、教科書で学んだ通りにやっていけば、おそらくそれで問題はないでしょうが、危機に陥ったら、根本からやり方を見直さざるを得ませんから……

 このゴ-ンの言葉からは2つのことが学びとれる。ひとつは、「経営手法を磨くには、危機の時こそがチャンスだ」ということ。もうひとつは、「学ぶということは大切だが、実践においてはただ学んだことを当てはめるのではなく、それを超えていかなければならない」ということである。

 「私は好みから言えば文系の人間ですが、実際には数学と工学を学び、そして現在はビジネスの世界に身を置いています。受けた教育は科学なのに、興味があるのはどちらかというと地理や歴史、言語、そうでなければ言葉と文化の関わりといったことなのです。その意味ではエンジニアの道を究めてきた人間だとは言えません。興味と、学校で得た基礎知識と、その後の職歴がどれもばらばらなのです。しかし、それでかえってバランスがとれているのかもしれません」

 とはいえ、数学的、科学的なアプローチがゴ-ン式の経営の基礎にあることは間違いない。というのも、経営においてまずなすべきことは、状況を把握し、その原因を分析することであるが、その状況の把握に物理学的手法が使われているからである。つまり、あらかじめ打ち立てられた理論よりも、事実のほうを大切にするということ(世の中には同じ状況は2つとないのだ!)。これは要するに物理学者のやっているのと同じ方法である。

 「経営について言えば、私は事実から出発して理論へと考えを進めますが、決してその逆はしません。これは鉄則です。まずは仕事がどう行われているのかをよく見て、それから解決策を考えるのです。「状況は違うが、これと似たような問題には前にもぶつかったことがある。だったら同じような方法で解決できるかもしれない」という具合です。とにかく理論を現実に当てはめるのではなく、あくまでもまず事実関係を調べ、人々の生の声を聞き、そうやって現状を把握したうえで、理論を構築するのです。この方法の場合、事実を確認しながら方策を考えていき、またそれが正しいかどうか事実で確認できるので、非常に効果的です。といっても、もちろんこの場合、拠り所とする事実は最新のものでなければなりません。一方、反対のやり方――つまり理論から出発してそれを現実に当てはめる方法ですが、これはなかなか結果が出にくいのではないでしょうか?」

社員との対話

 「日産リバイバル・プラン」を策定する時も、ゴ-ンがいちばん時間をかけて力を注いだのは、現場に足を運んで社員の声を聞くことだった。企業とは物ではない。数字の総計でもない。バランスシートを見ただけでは、社員の思っていることなどわかりはしないのだ。

 「現場に出かけていって、直接話をすることはとっても重要です。そうすれば、社員たちが自分たちの置かれた状況をどう捉えているのかわかりますし、またそれを通して状況そのものもはっきり見えてくるからです。現状把握は経営の要です。といっても、その場合、何が起こっているのか、社員はどういう状況に置かれているのか、技術面の現状はどうかといったことを個別に把握するだけでは不十分で、それらが絡み合った全体像を捉えることが肝心です。全体像を掴まなければ、どういう対策が現実的なのか、それはどこまで期待でき、どういうテンポで進められるのかといったことが判断できないからです。つまり全体の状況を把握し、対策の規模、期間、効果を見極めること、これが経営者の基本中の基本なのです」

 社員との対話は、社内のあらゆる職階の人々と行わなければならない。というのも「企業が危機に瀕しているとしたら、それは上層部が下の意見を吸いあげなかったせいだ」と考えられるからである。すなわち、上層部が知ってか知らずか下からの情報に耳をふさいだせいで、「状況の変化を把握できず、適切な対応を取れなかった」、また、「そのために自ら問題解決の道を閉ざしてしまった」ということが、ビジネスの世界では非常に多いのである。したがって、トップに立つ者は積極的に一般の社員の話に耳を傾けなければならないのだ。この点では、ルノーで行われた“200億フラン削減計画の時の話が参考になるだろう。

 「最初に私があの削減計画を持ち出した時、ルノーの幹部の多くは「そんなものは夢物語だ」とみなしていました。では、そういった状況で、幹部たちのことは放っておいて、直接現場の社員の話を聞きに行くべきか? 私は行くべきだと思います。ただし、幹部たちに対して挑発的にならないように気をつけて……。あの時、私は自分の管轄下の現場はもちろん、そうでない現場にも行きました。そこで社員たちに質問し、状況を把握しようとしました。そうやって、現場の人間がどんな問題にぶつかっているのか知ろうとしたのです」

困難の原因はいつもその企業自身のなかにある

 反対に経営者として絶対にしてはならないこともある。それは失敗の原因と責任を外部要因や関係者の不手際に押しつけようとする、いわゆる責任転嫁の態度である。この態度はあらゆる改革の妨げとなるので、断固とし戒めなければならない。もうひとつ、絶対にしてはならないことは「ひたすら危機を回避しようと、逃げの姿勢をとる」ことだ。

 「企業が困難に直面するのは、いつでもその企業自身に原因があります。もちろん経済環境も無関係ではありませんが、問題の根源は常に企業自身にあるのです。日産の業績が傾いたのは日本の景気後退のせいでも、競争相手が強すぎたからでもありません。その原因は社内にあったのです。ですから、日産が立ち直ったのも円安や景気が底を打ったおかげではなく、会社が内部から変わったからです。企業を弱体化させる因子は、必ずといっていいほど内部の構造にあります。国やその他の機関が外から援助をしてもなかなかうまくいかないのはそのためです。外からの援助は、せいぜい内部改革を促す背中のひと押しになればいいほうで、実際にはかえって改革を遅らせてしまうこともあります――その場合は、逆に高くつくことになるでしょう」

 

 

本書は2003年6月までAFP通信社の東京支局長であったフィリップ・リエスがカルロス・ゴーンにインタビューしてまとめた『Citoyen du Monde(地球市民)』の翻訳である。インタビューは2002年から1年がかりで行われ、そのあとリエスの原稿にゴーンが補筆するという形で完成した。

本書の特徴はゴーンの生い立ち、幼年時代、学生時代も含めて、日産に来るまでのゴーンの半生が詳しく描かれている。本書は、第1章:「旅立ち」から始まり、第21章:「希望のメッセージ」――の構成になっている。

1999年3月27日。東京の代表的ビジネス街、大手町。日本経済の大本山「経団連会館」のホールで、日本有数の大企業、日産自動車と外国企業の提携が発表された。その内容が、「日産が外国企業から救済を受ける」というものだっただけに大きな衝撃を与えた。実は、この発表が3月27日に行われたのは決して偶然ではない。3月31日は決算日である。そして、この時点で日産は過去8年間で7回目になる赤字、それも巨額の損失を計上せざるを得ない状況にあった。

ルノー(かつてのルノー公団)と言えば、自動車業界では長年「落ちこぼれ」とみなされてきた企業である。民営化されたとはいえ、まだフランス政府が筆頭株主であり、その持ち株比率は群を抜いている。では、その日本の状況は、どのようなものであったのか?当時、日本の自動車業界は、トヨタ自動車の輝かしい躍進とは裏腹に危機的様相を見せていた。確かにトヨタは世界第3位の自動車メーカーにのしあがり、その生産システムはほぼ世界中で模倣され、「世界を変えた」とまで言われた。国内シェアは4割を超え、その豊富な資金力を武器に世界各地へと触手を伸ばしつつあった。日本第2位の地位を狙うホンダも堅調だった。ホンダは自社実力に自信を持ち、他社との提携を頑なに拒んでいた。だが、この2社以外の企業はというと、いわゆる「失われた10年」の影響を受け、いずれも業績が悪化、方向転換の必要を迫られていたのである。一方、政府や官庁もこの提携に異を唱えず、それどころか後押しをした。これもまた、実に稀なケースである。

ゴーンのフルネームは、カルロス・ゴーン・ビシャラという。「祖父は若い頃に、たった一人でレバノンからブラジルに渡りました。まだ13歳だったと聞いています。ですが、当時は、比較的若い頃に国を出るのは珍しいことではありませんでした。まだ義務教育というものがなかったからです。20世紀の初め、レバノンからは多くの人が移民となって出ていきました。それは2つの大きな理由があったのです。一つはキリスト教のマロン派対イスラムのドルーズ派、そして同じイスラム教でもシーア派対スンニ派という宗教上の対立。もう一つは出口の見えない貧困です」。ゴーンの母親は、名前をローズという。出身は、そのルーツをたどれば、レバノン北部の山あいに暮らす大家族であるが、ローズがまだ生まれる前に父親がナイジェリアに移民していた。したがってローズはナイジェリアで生まれた。父は結婚相手を探しに祖国レバノンに戻り、母と知り合いになった。両親はレバノンで結婚し、ブラジルに戻り、ポルト・ベーリョで暮らし始める。そして、長女のクロディーヌと長男のカルロスをもうけた。

17歳で高等教育課程を修了すると、ゴーンはフランスの大学入学資格試験に合格した。この年齢で、ゴーンは初めて家族と離れて暮らすようになる。ブラジルをあとにしてから、もう20年近くの月日が流れていた。それだけ離れていて、帰郷する機会もほとんどなかった。しかし、生まれ故郷のブラジルを忘れたことなど一度もなかった。

フランスの企業もブラジルに進出し始めていた。つまり、そのようなチャンスが到来したら、自分にとって最も自然な就職先はブラジルでのフランス系企業だった。ミシュラン(タイヤ製造会社)の誘いで、本社のあるクレルモン・フェランに行き、7年いることになる。

80年代の初めはミシュランが著しく成長した時期であり、ゴーンは27歳で工場長に昇格した。工場長時代、ゴーンは指導者として大切なことをたくさん学んだ。工場長としての生活が2年近く経ったとき、クレモン・フェランの本社に呼び出され、社長から「クレベール・コロンブ社の状況を分析して、どうすればよいか提案してもらいたのだ」と言われた。フランスでタイヤ産業の統合が進む以前、クレベール・コロンブ社はミシュランの競争相手の一つだった。ミシュランはクレベールを独立した企業として存続させつつも、財政を管理するようになっていた。

結局ゴーンは南米事業を統括する最高執行責任者としてブラジルに行くことになった。ブラジルの最高執行責任者となったゴーンの最初の仕事は、経営の状態について診断書を作ることであった。やがてゴーンは米国に赴任した。米国のタイヤメーカー、ユニロイヤル・グッドリッチを買収する。ミシュランがユニロイヤル・グッドリッチを傘下に収めてから10年間、ミシュランの歴史を見れば、大企業がグローバル化を成し遂げた過程と、北米市場がそこで果たした役割を見ることができる。

ゴーンが米国に赴任してから6年後の1995年、ミシュランの経営責任者である共同社主たちは、グループの再編という大規模な作業に取り組んでいた。96年に組織が再編されると、それに伴う異動で、ゴーンは大西洋の上を言ったり来たりすることになった。やがてルノーに移籍することになる。ルノーの再建計画の素案をつくり彼の本領を発揮することになる。その彼が実績を買われ、日産の再建に手をかすことになる。ルノーの会長シュヴァイツァは後に、「もし、カルロス・ゴーンが断れば、この提携はやめるつもりだった」と述べている。

99年4月、提携成立後、初めて日産本社の門をくぐった時、ゴーンはまだ完全な“アウトサイダー”だった。日本という国も知らなければ、習慣も知らない。人々がどんなふうに考えるのか、どんなことをしてはいけないのか、それも知らない。人とのつながりもなかった。ゴーンが伝えるべき、一番重要なメッセージは、「日産を救うのは日産である」ということだ。「ルノーの人たちは、日産が自分の道を見出す手助けをするためにここにいるのだ」。

「日産の社風を変えようとしても、おそらく変えることはできなかったでしょう。だいたい、変えようとするなどということは、はなはだしく人間の本性にもとることです。すでに存在する1つの組織に別の組織を押し付けようとすれば、結果はそれを破壊することにしかつながりません。もちろん、その目的が相手を征服して占領することにあるならば、そういう戦略もいいでしょう。しかし、それは中性子爆弾を投下するようなものです。そんなことをしたら、ハードウェアは無事かもしれないが、ソフトウエェアは破壊されてしまいます。日産を変えるのは内側からでなければなりません。内部組織を転換させるのです」。

ゴーンは数字だけを見なかった。その代わり、どうして会社がそんなふうになってしまったのか、どうしてそういった数字が表れるに至ったのかを理解するために、99年の春を使って全国行脚、いや、世界行脚の旅に出る。行く先は日産の営業所、工場、テクニカルセンター。その途中で、ディーラー、サプライヤー、そしてユーザーとも話した。世界中の日産に関係する施設を回り、また人々から話を聞くことによって、日産の状態をいわば“聴診”したのである。精力的に働くこのゴーンの姿を見て、日産の人々は“セブン・イレブン“というあだ名をつけた。すなわち、日産にやってくるとゴーンはコンビニさながらに、朝から晩まで休まずに働き続けたのだ。「私はさまざまな役職の人々に会うことができました。そして、何がうまくいっているのか、何がうまくいっていないのか、状況を説明してもらうことができたのです。また、どうすればもっと良くなるかなどについても話を聞くことができました。つまり、私は単なる数字上の分析ではなく、会社の業績をあげるためにはどうすればよいか、その方策がはっきりするような具体的な状況の分析がしたかったのです。この間、サプライヤーのところをよく訪問しました。彼らの話によると、例えば、発注があまりにも細かすぎる、あるいは、いつ、どのくらい商品を納入すればよいのか予想が立たないことが問題だ、と言うのです。1年の生産台数が20万台しかないのにタイヤのサプライヤー6社と取引しているといったこともわかりました」。

「日産をこんな状態にしてしまったのは何か?私なりに考えた原因を5つ挙げてみましょう。その第1は、まず日産が利益を大切にしていなかったこと。これは明らかです。経営陣は数字を知りませんでした。また、業績も知りませんでした。数値的な目標を揚げることもありませんでした」。後に正確なコスト分析を行ったところ、99年に日産が売り出していた43車種のうち、わずか4車種しか黒字を計上していなかったことがわかったのだ!

「2つめの原因は、口で言うわりにはユーザーについて考えていなかったことです。例えば、“この車はどんなユーザーを対象としたものか?”“どうしてユーザーはライバル会社のモデルではなく、日産のモデルを買ってくれたのか?”と、こういった発想で物を考えてみるのは、自動車業界ではごく当たり前のことです。ところが、日産の人々にこの質問を発してみても、その答えは返ってこなかったのです」。

「3つ目の原因は、切迫感がないことです。例えば、仕事を頼んで“いつまでにできるか?”と尋ねると、私が思っているよりも10倍の時間が返ってきました。日産は火事で燃えているというのに、その緊張感が伝わってこないのです。この状況では“時間”というものがどれほど大切か、それがわかっていなかったのです。私たちは先ず自分たちの経験からできると思っている“時間”とのずれを再調整することから始めなければなりませんでした」。

「4つ目の原因。それは社内のセクショナリズムです。セクショナリズムというのは、多かれ少なかれ、どんな製造業でも共通の問題点になっている事柄です。しかし、チームプレーに優れた日本であれば、当然、部門横断的なやり方はやっているだろう、と私は相予想していたのです」。

「こういったなかで、5つ目の診断は日産をこんな状態にしてしまった最大の原因と言えば、それは戦略のなさ、ビジョンのなさでした。例えば、日産を5年後にどうしたいか?10年後にどうしたいか?を社員たちに尋ねてみても答えは返ってきません。日産というブランドは何を意味しているか?と訊いても同じです。つまり、日産の人々にはビジョンというものが欠けていたのです。人々は、日産という大企業が傾いていくのを目のあたりにしながら、それを押しとどめる方法もわからず、ただ大きな不安と混乱のなかで、ひたすら心を痛めていただけだったのです」。

「会社の再建というのは、ある意味でエンジニアの仕事に似ています。あるいは、家を建てるのに似ていると言ってもいいかもしれません。つまり、そこには、“何を優先して、どんなやり方で、どの程度のレベルのものにするか”といった発想が必要なのです。また、家を建てることの比喩で言えば、それと同じように基礎工事が必要ですし、スケジュールや予算の作成、そして、もちろん、期限や価格についての取り決めもしておかなければなりません」。

こうして、1999年の夏の初め、ゴーンはいよいよ再建計画を作る準備に入る。社内の部門を横断するチームであるクロス・ファンクショナル・チーム(CFT)の組織をつくる。ゴーンは9つのCFTをつくって、その一つ一つのチームが “改革の柱となる計画案”をそれぞれ責任を持って提出するようにさせた。CFTは、社内の“部門の壁”や“上下関係の壁”を壊して、経験や能力に基づいた最良の意見を結集させる、いわばアイデアの実験室であった。

日経BP社が発行している『日経ビジネス』誌の2002年1月号で行われたアンケートによれば、ビジネスマンに対する「現役の経営者のなかで、理想のリーダーは誰か?」という質問に対する答えの第1位に、253票の得票を得て圧倒的トップでゴーンがランクされたのである。2002年10月には、強力なリーダーシップを発揮して日本経済を活性化させるのに貢献したという理由で、ゴーンは政府が創設した企業改革経営者表彰の第1回の受賞者として表彰もされた。

その他の詳細は省くとして、ざっと本書の概要をまとめてみた。この内容だけでもゴーン氏の凄さ、素晴らしさが理解できると思う。ゴーン自身が世に問うた、『ルネッサンス 再生への挑戦』の著書もこの欄で紹介したが、そのときはゴーンの哲学的な発言、ことばを中心に紹介した。その書評とあわせて読んでいただくと、ゴーンの人柄、考え方やモノの見方などがよく理解できる。本書は経営者でなくとも、幹部であれ、新人であれ、企業経営に参画する者にとって非常に参考になる。経営は生き物と言うが、まさにその通りであり、生かすも殺すもそこに働く人次第であり、特に経営者としての舵取りの重要さがわかる。

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