カルロス・ゴーンが語る「5つの革命」

【革命その1】

第一章経営革命―危機の原因はトップにある!

“借入額で”世界最大の自動車会社

「日産の危機は財務が招いた危機ではありません。経営が招いた危機だったのです」

――。日産自動車のカルロス・ゴーン社長がこう語ったとき、会場は一瞬静まりか

えった。

二〇〇三年三月、東京都内のホテルで開かれた日本経済新聞社の経済シンクタンク、

日本経済研究センターの朝食会の冒頭だった。なぜ危機の崖っ淵に立った日産自動車

にルノーが手を差し伸べたのか、なぜゴーンが短期間に日産を再建できたのか、その

真相を知ろうと聞き耳を立てていた経済人たちは、しばらくの静寂のあと、今度は

ぐっと打ち解けた雰囲気になった。

バブル経済後、長期にわたる業績低迷に苦しんできた日本企業も、伝統的な経営手法

を進化させ、「経営不在」を乗りこえた企業はしだいに競争力を回復している。よう

やく自信を取り戻すようになった経営者たちは、ゴーン改革がよい結果をもたらした

と考えてか、表情が穏やかになった。

「一九九九年の日産は非常に悪い状態でした。当時の日産の経営状態や数字を見れ

ば、過去一〇年間と同じやり方を続けたら、やっていけないことは誰の目から見ても

明らかでした。日本における市場シェアは二七年にわたって、世界シェアも一〇年間

にわたって減り続け、自動車生産台数は一九九一年以降、六〇万台から七〇万台以上

減っていたのです。この数字は言うなればBMWとかボルボの一社分にあたります。

一九九一年から九三年にかけてこそ営業利益は一パーセント程度でしたが、九四年以

降はさらに下がり続け、利益は出なくなってしまったのです。一九九九年の自動車部

門の借入額は実に二兆一〇〇〇億円にのぼり、借入額では世界最大の自動車会社に

なっていたのです。韓国でさえそんな多額の借金はしていませんでした」

日産がルノーの資本参加をあおいだとき、日産を維持するシステムは明らかに停止し

ていた。銀行から見れば「もう銀行が貸せるカネはない、この問題は自分で解決する

ほかない」という状態だった。日産にとっては、自分で解決する方法を見つけなけれ

ばならないときだった。この決断は結局のところ正しい決断だった。当時の日産にカ

ネの投入を続けることは、事態をさらに悪くさせることでしかなかった。

「財務問題が起きるのは、多くの場合、何か具合が悪いことが起きたときです。多く

は経営のやり方に問題がある場合です。私に言わせれば、経営の方法が悪い会社にカ

ネを投下し続けるということは、カネを失いに行くようなものです。事態を変化させ

ずに、さらに多くのカネをムダに使うということは、事の本質を理解していないのと

同じです」

日産は、ビジネスシステムがもはや機能しておらず、崩壊していた。多少改善したと

ころで大差はなかった。一九九九年の日産は、完全ににっちもさっちもいかなくなっ

ていた。根本的な再構築が必要だった。それには外部からの援助が必要だった。

「日産の再建に取り組むにあたって、一番苦労したのは従業員に緊張感が感じられ

ないことでした。日産問題の根源はまさに緊張感のない経営にあったのです」――。

ゴーンが繰り返す指摘は痛烈だった。

「二匹のロバ」がいっしょになっても……

「一九九九年三月にルノーと日産がアライアンス(提携)を結んだ当時、この提携は

決して熱狂的に受け止められたわけではありません。多くの懐疑的な声がありまし

た。自動車業界の首脳の中には、二匹のロバ、つまりルノーと日産という落ちこぼれ

同士がいっしょになってもレースはできないと言う人もいました。しかし私は最高の

提携だと言いました。

たしかにこの提携は貧者同士の結婚でした。期待は低いものでした。誰も何が起きて

いるか関心を払いませんでした。実際、社内にいる人たちも、みんな懐疑的でした。

そういう人々を勇気づけるために、私は『われわれの提携が、周囲の人が言っている

以上に価値があるものだということを示そうではないか』と言いました」

日産がルノーと提携した初年の一九九九年は厳しい年だった。ゴーンは日産社内のミ

ドルたちにクロス・ファンクショナル・チームを作らせ、三ヵ月かけて日産リバイバ

ルプラン(NRP)を作った。NRP発表時のビデオテープは各事業所に送られ、内

容はコピーされ、社内の誰もが持った。しかし、同じコピーを持っていても、みんな

がみんな正しく理解していたわけではなかった。

ゴーンは、NRPが単なるリストラではなく、クルマの商品ラインアップを一新し、

日産ブランドを高め、技術を強化し、将来に備えるために投資し、商品の力で業績を

回復させることがねらいだ、と強調した。そのためには資金が必要だった。当時の日

産には二兆一〇〇〇億円の借り入れがあり、多額の不良資産をかかえる銀行は、どこ

も一円たりとも貸してくれる状況ではなかった。日産は自分の持っている経営資源を

活用する必要があった。

「そこで私は、コストを徹底的に削減し、コア(本業)ではない事業はすべて売っ

て、その資金をコア事業に投入しようと言いました。これがNRPの基本コンセプト

です。すでに機能していない工場の閉鎖や、系列の解体、非中核事業の売却で、五〇

〇〇億円の資金が手に入りました。

もっとも当時のマスコミ報道の多くは、大規模なコスト削減、系列破壊、非中核事業

の資産売却という、方法論ばかりに集中し、建設的な投資については、あまり触れら

れませんでした。むしろ、技術や事業を売り飛ばし、展望もない合理化では企業を疲

弊させ、沈滞化させるだけで、再建にはつながらないという指摘のほうが多かったの

です。

しかしわれわれは、NRPを一切変更しませんでした。私は、断固としてNRPの約

束を実行(コミット)し、六ヵ月ごとに進捗状況について報告すると言ったのです」

進退を賭けたコミットメント

ゴーンはNRPの発表にあたり、初年度にあたる二〇〇〇年度の黒字回復と二〇〇二

年度までに売上営業利益率の四・五パーセント達成、自動車事業有利子負債を半減さ

せる、の三点をコミットメント(達成すべき目標)にすると発表した。それと同時に

大規模な投資をすることも発表した。さらにこのとき、約束した三つのコミットメン

トのうち、一つでも実現できなかった場合は、社長以下の経営陣は辞任し、ほかの人

に経営を譲ると宣言した。

「結果については、みなさんご承知のように、われわれは三年間では不可能といわれ

たNRPを二年間で実現し、第二段階として『日産180(ニッサン・ワン・エイ

ティ)』を発表しました。われわれは収益体質を回復し、新製品攻勢に出る段階に

入ったのです」

「日産180」は、非常に単純な計画だった。クルマの販売台数を一〇〇万台増や

し、売上高営業利益率を八パーセントにし、自動車事業有利子負債をゼロにするとい

うものだ。二〇〇二年度から二〇〇四年度までの三年間で達成する計画だ。当然、一

〇〇万台増販や業界のトップレベルの利益率達成などはできっこないという声があ

がった。単年度でできても継続するのはむずかしいという意見もあった。しかしゴー

ンは高い目標に向かって進み、実現する決意を示した。

「日産の競争相手は日本ではトヨタであり、ホンダです。この二社は世界の自動車

メーカーの中でも最高の自動車メーカーでしょう。アメリカではトヨタ、ホンダの二

社だけではなく、米欧のすべての自動車メーカーと競争しています。ヨーロッパで

は、日産の提携相手であるルノーや日本メーカーを含め、すべてのヨーロッパ車との

激しい競争に分け入っていきます。

たしかに、そこで勝ち抜くのは簡単なことではありません。誰かが市場で勝てば、ほ

かの誰かが負けるわけですから。アメリカのメーカーは、高率のインセンティブ(報

奨金)を支払ってシェアを確保しようとしています。市場シェアを確保しようと必死

にもがけばもがくほど収益率を悪化させているのです」

本当の敵は「無関心な人」

「日産180」は、国内の販売増には苦労したものの、好調な北米などに支えられ順

調に推移した。「日産180」の三年間の目標が達成されれば、日産リバイバルプラ

ンと合わせ、日本の伝統的経営とグローバルな経営スタンダードを重ね合わせること

によって、展望も収益力もなくした日本の代表的企業が、世界でトップレベルの収益

力のある、ダイナミックな自動車会社へと変身できるという格好のビジネスモデルと

なることは明らかだ。日産が一九九九年に持っていたイメージがどう変わったのかを

フォローすることは、誰にとってもおもしろい試みだった。

「企業の社長という者は、誰も本当にそうなるとは思っていないことでも、自信を

持って語る必要があります。大事なことは、実績で判断してもらうことです。当初の

危機的な状況をわかっている人から見れば、実績を出すまでにどれほど苦労があった

かわかるはずです。変化のきっかけは動き出しています。お客様は、われわれの、価

格が手頃で品質のよいクルマを求めています」

「日本のビジネス人は非常に規律正しく、企業に忠誠心があります。しかしどこに行

くのか方向が明確でなければ、変わりようはありません。

一五年先にはどうなっていたいか、で始めてはいけません。今が大変な企業にとって

は一五年先の話どころではないからです。まず関心を持ってくれそうな三年先の話か

ら始め、それから六年後、そして九年後の話をすることです。その上で詳細な行程表

を明確にする必要があります。

三年間に一〇〇のことをする、あるいは初年度に五、次年度にさらに五、三年度に九

〇のことをすると言っても信用されません。初年度に三五、次年度に三五、三年度に

三〇のことをする、と言うのであれば信用されます。努力と結果を分け、約束を果た

すしくみが重要です。このコミットメントがなければリーダーシップは果たせませ

ん。

私はよく、日産に来たときに抵抗を受けなかったかと聞かれますが、反対されるとい

うことは、私にとっては主要な敵ではありません。敵となるのは、事態をなんとも思

わない人です。自分とは関係ないと思って、話を聞かない人々が敵なのです。興味が

あり、情熱を持っているからこそ反対するのです。

反対することは、関心があり、エネルギーを持っていることであり、よいことなので

す。初めて日産に来たとき、私は、自分は関係がない、という人々が八〇パーセント

はいない会社にしたいと思っていました。願わくば誰もが私の話に関心を持ってほし

かった。会社再建に興味を持ち、会社を勝者に変えたいという気にさせたかった。

実際、私が日産に来てから三年の間に、当初は半信半疑だった社員の大半が積極的

企業活動に加わるようになりました。しかしわれわれは、いまだに懐疑的だったり、

無関心だったりする人たちに、もっと関心を持ってほしいと思っています」

グローバリゼーションの波が押し寄せる中で、日本の多くの企業はゴーンのような抜

本的な改革ができないもどかしさに苦しんでいた。朝食会での議論はゴーンの指摘に

盛り上がった。

「ミドルアップ」「ミドルダウン」の功罪

ここでコマツの坂根正広社長が「トップダウンとボトムアップ」について質問した。

アメリカのキャタピラーに続く世界第二位の建設機械メーカーであるコマツは、フラ

ンス大手タイヤメーカーのミシュランの取引先で、ゴーンはミシュランの研究開発セ

ンターで大型タイヤ部門の責任者を務めていた。その関係で、一九八四年にコマツを

訪問したことがあった。

「私は、ゴーンさんが今から約二〇年前、ミシュランに勤めていた時代に日本を訪

れ、コマツの工場で非常に感銘深い光景を見たという話を本で読みました。若い人が

非常によく発言している中で、上は黙って聞いているという光景だったと思います。

ゴーンさんは、この話をルノーの人にもよく話した、日産でも現場の第一線の意見を

大事にする日本のよい点は尊重しようと思った、と本の中で語っています。

ゴーンさんがコマツを訪れたのは、日本が、国も企業も成長していた時代でした。日

本の企業は、課長などのミドルが強いのが特徴です。言ってみれば、ミドルアップ、

ミドルダウンの体質が国や企業の成長を支えてきたと言えます。私は現在でも、日

本のモノ作り企業が強さを維持できているのは、ミドルアップ、ミドルダウンの力が

強いからだと思います。

そこで質問です。日産のように、会社が大きな危機に直面したり、方向転換するとき

には、たしかにトップダウンが必要だと思いますし、今の日本はそうしたトップダウ

ンが必要なときだと思います。実際、コマツでも、私自身トップダウンで経営改革に

取り組んでいるつもりです。しかし、日本のようにミドルが強いところでは、トップ

ダウンとミドルアップのコンビネーションが必要ではないかと思います。

その点、日産に来てどういう印象をお持ちになったでしょうか」

企業がトップを変えるべきとき

ゴーンは次のように答えた。

「二〇年前に訪れたコマツでの経験は非常に興味深いものでした。従来見慣れたもの

とはあまりにも違っていたからです。全員が制服を着ており、誰が上司なのか、誰が

部下なのか、誰がどの責任者なのかわからなかった。しかも、上司と思われる年齢の

高い人は静かで、若い人が積極的に発言していました。フランスは逆で、トップの人

しか発言しません。若い人や下の人はあまり発言しないのが普通です。

トップダウンがフランスのやり方だとすると、日本はボトムアップの社会という感じ

がしました。これは大変衝撃的な光景でしたが、私にとっては肯定的なショックでし

た。日仏の違いを目の当たりにしたことで、非常に好奇心がわいてきました。

しかし最高の経営というのは、この中間にあるのではないかと思います。徹底した

トップダウンもよくないし、完全なボトムアップもよくない。やはりその中間のバラ

ンスをとるのがよいのだと思います。トップダウンは、危機的状況においては非常に

重要だと思います。危機的状況のときには、乗組員は船長からどういう状況にあるの

か、目的地はどこなのか、どう問題を解決するのか、優先順位は何なのか、を聞きた

いからです。

危機的状況では、リーダーが克服策を決めなければなりません。危機から脱却するに

は、何を犠牲にするのか、何に焦点をあてるのか、選択肢が重要になります。これは

ボトムアップではできません。ある時点で、誰かが責任者になって選択をする必要が

あります。もちろん選択をする際には、何を選択するのかみんなの意見に耳を傾ける

必要はありますが、商品や技術や市場で重要な変化が起きているときには、どうして

もトップダウンが重要になります。

しかし多くの従業員に関心を向けさせるには、中級管理者や現場に権限委譲する必要

があります。その意味ではボトムアップは重要です。フランスと比較すると、日本は

あまりにもボトムアップが強く、トップダウンが不十分です。しかし逆にフランスで

はもっとボトムアップを増やさなければならないと思います。

トップマネジメントが戦略策定や選択をしなければ企業は動かないだろうし、トップ

がどれほど偉大であっても、従業員が技術や市場、品質、生産性に関心を失えば、こ

れまた意味がなくなってしまいます。こういったときのトップは状況がわかっていな

いということになります。

危機的状況にもかかわらず、トップが事業の状況を把握していない、どう対応してよ

いかわからないという場合は、企業にとって明らかに危険です。トップは付加価値が

なくてはならないし、戦略に対して責任を持たなければならないからです。トップ

は、戦略を策定し、責任を持ち、状況を把握し、付加価値を証明する必要がありま

す。

こうしたトップとしての付加価値がなければ、トップは変える必要があります。た

だ、実務については現場の人間がすべきです。トップは、事業を細目まで管理する必

要はありません。

日本も、よりトップダウンになりつつあると思います。しかし、特に危機的状況に

あっては、ボトムアップの強みを維持しながら、トップダウンの有効な要素を加えて

いく必要があるでしょう。フランスでは逆に現場に権限委譲するなど、ボトムアップ

を推進する必要があります。ともに補完を強めていく必要があると思います」

「企業カラー」のある会社、ない会社

続いて、自動車部品大手であるニフコの渡邉隆治社長が質問した。

「企業の生命は人です。企業がよい事業をするには、ビジネスモデルだけでなく、精

神的な部分も含め、思想が末端にまで浸透する必要があると思います。

たとえばトヨタでもホンダでも独自の企業カラーというものがあります。こうした点

から見た場合、日産カラーとは、どういうものなのでしょうか」

ゴーンは大きくうなずいて言った。

「たしかに企業は人なりです。しかも経営しだいで従業員は強くも弱くもなります。

経営者の責任は重いものがあります。

日産は東京のトップの大学を出た優秀な人の集まりでしたが、うまくいかなくなっ

た。頭のよい人だけでは会社はよくならないのです。社員がいくら優秀であっても、

人材だけでは成功につながりません。かっての技術の日産もいつのまにか消えてし

まった。ビジネスシステムだけでなく、経営システム全体が企業経営を左右するのだ

と思います。社員に最大限の力を発揮させ、発展させ、厳しい要求をすることが、よ

い母集団を作るのです。惰性に流れる、リスクをとらない、責任体制が不明確、とい

う経営では、よい会社にはなりません。

日産の七〇年の社史を振り返りますと、日産には、過去、今日の土台を作ることにな

る重要な局面がありました。人の人生といっしょで、いくつかの局面が、今日の日産

を作ったのです。たとえばトヨタやホンダは、明確な創業者がいて、今日の特徴を作

りました。日産は違います。しかし最近三年間の動きは、過去の何十年分に相当する

大きな変化だったと思います。今の日産はチャンスを生かし、大胆な会社となりまし

た。

企業のイメージは、現実とともに変わります。曖昧な理由で変わるわけではありませ

ん。日産の現実とは、大変革のさなかにあるということです。日産は、誠実に考えな

がら、こわがらずに大胆にチャレンジする会社へと変わっています。この変化は、

『マーチ』『エルグランド』『キューブ』など新しい商品によって説明できます。こ

れらの新製品はすべてターゲット(努力目標)を達成し、これがブランドを高め、新

しい日産を形作っています。

日本の優れた力とグローバルな経営が合体すれば、グローバルな会社になり得ると思

います」

◎目次

はじめに

【革命その1】

第一章経営革命―危機の原因はトップにある!

“借入額で”世界最大の自動車会社

「二匹のロバ」がいっしょになっても

進退を賭けたコミットメント

本当の敵は「無関心な人」

「ミドルアップ」「ミドルダウン」の功罪

企業がトップを変えるべきとき

「企業カラー」のある会社、ない会社

日本的システムの強みと弱み

組合との交渉は貴重なコミュニケーションの場

「負の伝統」との訣別

改革継続の秘訣とは?

さらなる高みを目指して

第二章“貧者同士の結婚”か? 最高の提携か?

ルノーの歴史―国有化、そして合理化への道

ゴーンによるルノーの改革

アジア進出へのパートナーが必要だ

ルノーから日産への「紳士的提案」

「チャレンジする価値があるのは日産だけ」

ついに提携成立

シェアを減らし続けた日産の二〇年

第三章“燃えさかる甲板”からの脱出

着任前に六〇〇人の社員と面談

問題は現場から見えてくる

「ルノーのためでなく、日産のために日本に来ました」

組合とゴーンの関係

9つの「クロス・ファンクショナル・チーム」

「日産リバイバルプラン」の発表

決断するか、しないか―それだけだ

工場閉鎖―一人ひとりとの対話を重視

「今までのやり方」はもう通用しない

納入業者を巻き込んだコスト削減計画

世界的な合理化のうねりに乗って

日産の「潜在的パワー」をいかに引き出したか

提携が新たな段階へ

「リバイバルプラン」から「日産180」へ

国内新車販売台数で四年ぶりにホンダを逆転

【革命その2】

第四章ヒット車革命―創造的、大胆かつ情熱的なクルマをめざして

「残されたドル箱市場」への参入

海外事業復活の象徴「キャントン工場」

切り札は「Zカー」の新型車

クルマに「感情を埋め込む」デザイナーたち

Z復活の原動力、ハーシュバーグ

米トラック市場への進出宣言

世界で最もよく売れたスポーツカー

「新型Z」のデザイン決定まで

価格をいかに下げるか

商品企画チームの再編成

初代Zカーを売りまくったミスターK

アルティマが日本車初の「北米カー・オブ・ザ・イヤー」に

日産国際化の先兵、米スマーナ工場

「新型マーチ」大ヒットの秘密

モデルチェンジに見事に生かされた提携効果

【革命その3】

第五章マーケティング革命ーーどこまで顧客の視点に迫れるか?

「現場の声」を吸い上げるゴーンのやり方

販売会社はメーカーの目であり耳である

流通コストをいかに減らすか

やる気を引き出すゴーン流「販売改革」

マーケティング戦略―ゴーンvs出井伸之

マーケティングを代理店まかせにしてはならない

「ブランド力」について

「ブロードバンドの普及」は何をもたらすか

マーケティングの勝利―「ティアナ」と「マーチ」の場合

ゴーン自身が広告塔に

【革命その4】

第六章人材開発革命―徹底したコミュニケーションと信賞必罰

新たに加わったルノーチーム

「君たちは宣教師として日本に行くのではない」

まず「責任を曖昧にする文化」を変える

企業を変える原動力とは

ゴーン流人材育成法

「世界に通用する人材」をどう育てるか

人材活用術―ジャック・ウェルチとゴーンの共通点

新卒者に期待する二つの条件

なぜ「中途採用」に力を入れるのか