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カルロス・ゴーン |
~ブラジル生まれの最強企業経営者~
Carlos Ghosn
カルロス・ゴーン
日産自動車株式会社
社長兼最高経営責任者(CEO)
1954年3月9日 ブラジル生まれ
ロンドニア州出身(アマゾン河流域)
国籍:フランスとブラジルの2重国籍
職業: 鉱山エンジニア
1976年 フランス国立理工科大学卒業
1978年 フランス国立高等鉱業学校(修士)を修了
1978年 ミシュラン入社
1981年 フランスのル・ピュイ(Le Puy)工場長就任 1985年 ブラジル・ミシュランの社長(ミシュランの南米事業全般を統括)
1989年 ミシュランの北米子会社の社長、CEO(最高経営責任者)に就任
1990年 北米ミシュランの会長、社長、CEOに就任
1996年 ルノーに入社 (ヘッドハンティングされる)
1999年6月 日産自動車のCOO(最高執行責任者)に就任
2001年6月 社長兼CEOに就任 2003年6月 共同会長兼務
現在(仏)ルノー社、(米)ミラント社、(米)アルコア社、及び(米)IBM等の取締役、そしてソニーの役員なども兼務
日本でもっとも認知度の高い経営者
カルロス・ゴーンは、ビジネスマンだけでなく、主婦や小学生にまで顔を覚えられている日本でもっとも認知度の高い「顔の見える経営者」とされている。
倒産寸前だった日産をわずか1年で業績急回復に導き、会社を活性化させた「ゴーン革命」により日本の産業界に大きな新風をもたらした。
1999年6月日産の建て直しにCOO(最高執行責任者)として着任。日産入りすると4カ月で経営再建策「日産リバイバルプラン(NRP)」をまとめ、矢継ぎ早にグループの世界全体の従業員
14万8000人の14%に当たる2万1000人をリストラするほか、工場の閉鎖、購買コストの削減などの大胆な改革を実行し、2001年5月の決算発表の席上では「日産は復活した」と高らかに宣言した。前期の6844億円の最終連結赤字から、3311億円の黒字に転換。長年業績の低迷に苦しんだ日産を、強力な指導力でV字回復に導いた。
さらに、カルロス・ゴーンは経営についての自分のやり方から秘訣までまったく惜しまずに公開し、日産の改革内容も隠すことはせず、積極的にインタビューやマスコミに応じ、透明で中の見える経営を実行している。
ゴーンは、いくつかのマスコミのインタビューや講演で、日産不振の原因は次の五つであったと指摘している。(1)明確な利益志向がなかったこと。(2)顧客志向が十分でなく、競争相手ばかりに関心を払っていたこと。(3)セクショナリズムが横行し、部門や地域を越えた業務の横割り連携ができていなかった。(4)危機感がなかった。(5)ビジョンや長期計画を共有していなかった。
しかし彼は、日産が持っている「強い国際的なプレゼンス」や「世界最先端の生産システムや技術」、「優秀な人材」をなどを活かして基本的には日産内部の能力で解決をはかった。
マネージメントを徹底させ、各アクションのプライオリティーと責任を明確にし、事実と数字を毎月の経営委員会に報告するなど進捗状況を厳しく監視し、貢献した者には昇進と報酬によって報いることを決めた。それらの人間には自社株をあらかじめ決められた価格で購入できる権利(ストップオプション)を与え、年齢や性別、国籍に関係なく昇進させた。
ゴーンは緻密に財務分析した上で、改革のための明確な中長期のビジョンと戦略を示し、そして、すべての仕事に達成目標を定め、進捗状況をこまめにチェックし、社員全員にその情報が伝わる仕掛けを作った。また、日本語の「ゲンバ」を常々口にしているように、ディーラーや工場などの現場を重視し、そこから浮かび上がった問題点に着目し、改善策を探った。
ゴーンこそが長期の景気停滞にうちのめされた今の日本に必要な理想の経営者だと、多くの人々から見られるようになり、パネリストや講演者としてさまざまな活動やイベントなどに招かれ、また自分でも国際企業人育成に積極的にリーダーシップを見せ、マスコミへのオープンで気さくな対応など日本において理想的な企業経営者の手本となっている。
コスモポリタンな生い立ち
カルロス・ゴーンは、父をレバノン系ブラジル人に、母をレバノン系フランス人にもつ、レバノン系ブラジル人。 祖父は、レバノンでも最貧ともいえる山岳地帯出身で、若くして夢を持てなくなった祖国を捨てブラジルへ渡ったレバノン移民一世。
父親が航空会社に勤めていた時にブラジル奥地のアマゾン河に面したロンドニアに生まれるが、4人の子供のなかの唯一の男の子だった。
家族はその後リオデジャネイロに移り、カルロスはフランス系の学校で学んだ。
14歳の時にレバノンのイエズス会系のフランス人学校「ノートルダム高校」で高校生活を送る。そしてそこで人生の師と仰ぐフランス文学の教師を務めた神父に出会っている。
16歳で一人でフランスに渡り、大学予備校に入り2年後にフランスの理工系の最高峰とされる国立理工科大学(Ecole
des Polytechnique..)に入学。 1978年に日本の大学院に相当する国立高等鉱業学校(Ecole des Mines de Paris)に入り、エンジニアリング(鉱山エンジニア)の学位を習得し卒業。
カルロス・ゴーンは人生において3回の洗礼を受けたというがそれは、ブラジルで「情熱」、レバノンで「国際感覚」、フランスで「最高学問」といったものであろう。
カルロス・ゴーンの民族的背景
カルロス・ゴーンの仕事への情熱と透明性について鍵となるのは、まず第一に彼のレバノン系の国際的商人とフロンティアスピリッツの気質が大きい。
古代フェニキア人の通商の拠点として栄えたレバノンは、国内人口こそ420万人の小国だが、世界中にちらばった多数の海外在住人口を持つことで知らている。その中でも米国の自動車の町デトロイトでは、市民の約1割にあたる10万人ものレバノン系市民がおり、そして米フォードモーターの社長兼CEO(最高経営責任者)のジャック・ナッサーもレバノン系であることは興味深い。ゴーンが生まれたブラジルでもレバノン系は多く、現在ブラジルには全人口のおよそ5%にあたる800万人のシリア・レバノン系移民とその子孫がいるが、これは本国レバノンをしのぐ人口であり、ブラジルの国会議員や州知事などの政治家もおり、大統領候補によく上がる政治家もいる。
マックドナルドよりもアラブ料理のファーストフードのチェーン店ハビブスなどの人気が高い国である。またゴーンが大学を学んだフランスもレバノン系は多く、フランスでもレバノン系やアラブ系の悪口は言えない。一方アルゼンチンのメネン元大統領もレバノン系で、彼が大統領に当選した時には、レバノンには彼の銅像が立てられている。
カルロス・ゴーンの宗教的背景と人生の師
レバノンは、アラブ語とフランス語を公用語とするアラブ系国家であるが、宗教的にはキリスト教とイスラム教の勢力が半々の珍しいバランスをもっている。そのため、ヨーロッパや南米などに移住したレバノン人にはキリスト教が多く見られる。
ゴーンは、1968年14歳の時、フランスでの高等教育に備えて、レバノンのキリスト教イエズス会系ノートルダム高校に進み、フランス語を勉強したが、そこで生涯一番大きな影響を受けたと言われる出会いがあった。それは、生涯を海外での教育にささげたフランス人のカリスマ的教育家、ラグロボール神父であった。ゴーンは「神父から学んだ中で、最も力強い教えは、人類は人生の最も重要な目標である、という信念でした。まず人の話をよく聞き、それから考えること。自分の考えをできる限り透明性の高い表現で表すこと。シンプルにすること。言ったとおりに行動すること。この信念に我々は皆、深い感銘を受けました。当時60歳くらいだった神父は、85年ごろに亡くなりましたが、私の心の中に生き続けています。とりわけ、日本に来てからの経験を通じて、神父が私にいかに大きな影響を与えていたかを悟りました。彼のように、生徒に対して深遠で建設的な、生涯にわたる影響を与えることのできる世界中の教師の方々に神の祝福があるように願わざるを得ません」
イエズス会修道士の教師は各生徒を使命感をもった人間に育てて世に出していくという教育理念をもっている。そしてそれを教師たちが実際に見せることができた時の影響は大きいものであろう。
カルロス・ゴーンは経営者にならなければ教師になっていたというほど、このラグロボール神父の生き方に感銘を受けていた。
またゴーンが学んだイエズス会派の学校とは使命感教育の特色をもち現在世界中にレベルの高い学校をもっているが、日本には上智大学を筆頭とする名門校がある。イエズス会の修道士たちは16世紀に日本にはザビエルが西洋文化を持ち込んだ歴史的貢献が有名であるが、南アメリカにはイエズス会のミッション(伝導村)
としてインディオたちを教育するための学園社会が繁栄し、ジャングルの中に「ヘスイタ帝国」とも呼ばれた目を見張るような文化圏を築き上げていた。
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